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2014年8月29日

28日は、朝から雨模様で、夏が姿を消したかのような一日でした。

幕張ドルフィン歯科の米山です。

午前中は、コンサルタントの高野さんと経営相談を。

高野さんとは、13年前に開業して、その1年後ぐらいからのお付き合いです。

その間、前妻の死や歯科衛生士の不在、被災など多くの困難の中、

数々のアドバイスをいただき大変感謝しております。

この医院も、多くの方々のご支援や何よりも患者さんやスタッフに支えられて、

ここまでこれました。

本当にありがたく思います。

しかしながら、時には患者さんからのクレームもあり、真摯に受け止めていきたいと

考えています。


午後は、錦糸町の丸井へ

丁度妻が、買い物中。

3歳のケイトは、どらキッズ教室で勉強中。

今回は、お友達と一緒に泣くこともなく、だいぶ一人でも集中できるようになった様子です。

家族で昼食後、私は一旦家へ戻り、正装し日暮里へ。


日暮里へ行くと決まって私は、馬賊のつけ麺をいただきます。

ここの麺はすべて手打ちなので、麺の食感とゴマの汁がからんで絶妙な味わいを出しています。


今回、日暮里へ向かった目的は、太陽歯科衛生士学校での実習説明会への参加です。

私の医院は、太陽歯科衛生士学校の実習先となっています。

年2回、実習生を向かい入れ、臨床実習を行っています。

歯科衛生士は、歯科医院にとっては、なくてはならない存在。

ただ単に治療のみの歯科のかかり方だけでは、歯は残せません。

虫歯治療と同時に歯周病治療を行い、口腔内の環境をすべて整えたのち、

歯科衛生士のメインテナンスを定期的に受けることで、一生涯のお口の健康が

守られていきます。

当医院では、その予防システムを構築しつつ、学生にもそのような実習を行っています。

予防歯科マインドを学生に浸透させることで、歯科衛生士本来の使命感を育てていきたい。

そのように考えています。

近年では、虫歯菌や歯周病菌が脳こうそくや心筋梗塞の原因の一部であることが

わかってきました。

歯は命

この言葉の意味するところは、まぎれもない事実といっていいでしょう。


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2014年8月25日

23日、診療を早めに切り上げさせていただき、私は品川へ向かいました。

幕張ドルフィン歯科の米山です。


品川駅近くのビルのフロアーでは、ひまわりの装飾が目に留まりました。

今回の集まりは、鶴見大学硬式庭球部OB会の今後の運営について。

会費の納入システムや現役への支援など議題を話し合った後は、3時間ほどの雑談に。

先輩のOG方が、日本酒をぐいぐい飲むペースに、私はついていけませんでした。


翌日は、午前中からテニスサークル

猛暑ではありませんでしたが、午後からのスクールが終わったころは、

やや疲れが見られました。

空を見上げると、夏と秋の雲が、私に季節の移ろいを感じさせました。


東京のオアゾへ家族と書籍選びに

駅前では、夏祭りの太鼓衆のにぎわい。

私は、太鼓の音を聴きながら、震災前の商店会で毎年、夏祭りを企画し、

太鼓連を招集した記憶を甦らせていました。

オアゾでは、皮製品の展示会が開かれていて、数々の品ぞろえに目を奪われました。

私の所有している財布も穴が開いてきたので、さっそく購入することに。

書籍は、今回は4冊購入。


テニスのボールを打っている時は、無我夢中なのですが、すべて同じ軌道、スピード、

落ちる場所は、ひとつとして同じボールはありません。

道に咲くひまわりも、今咲き誇っているひまわりもあれば、すでに朽ち果てているひまわりも

あります。

空の雲も少しの間見ているだけでも、風の影響などで刹那刹那変化しています。

昨日の自分と今日の自分も細胞レベルで入れ替わっている。

仏陀は、これを諸行無常と言い表しています。

私たちは、これら無常の世界で今を生きているという実感を持っているものですが、

その実感は、すべて対象物があればこそのもの。

つまり、諸行無常の上の概念である縁起に帰結することに気づくわけです。

縁起とは、すべては関係性で成り立っているということ。

時の移ろいに、慈しみを持つことは、今を生きていることに大いなる気付きを与えてくれます。


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2014年8月22日

21日、蝉の鳴くなか、早朝ジョギングをこなしました。

幕張ドルフィン歯科の米山です。

午前中は、3歳のケイトとブロック遊びをしながら過ごしました。

午後1時からテニスのプライベートレッスン

真夏のそれも一番気温の上がっている時間の過酷なレッスンは、まさに無謀ともいうべき

ものです。

フォア、バック20球ずつの球出しを、インターバルをいれながら、10セット

最初は、いいショットが続くのですが、最後になるとラケットは振り切れているのですが

ネットやアウトミスを繰り返す始末。

このレッスンの趣旨は、一番つらい時にどれだけ、フォームを崩さず無意識レベルで

動けているかにあります。

確かに去年のこの時期に比べれば、動けるようになってきてはいますが、まだまだ無意識レベル

には、ほど遠いようです。


夕方から日本橋へ

高校クラス会のための幹事会を、以前大学OB会でお世話になったお店で行いました。

メンバーは私を入れて4人そろいました。

はがき作成と開催する場所の予約をメンバーにお願いし、後は近況報告会となりました。

去年、32年ぶりに再会した同級生ですが、人の性格はほとんど変わりませんね。

高校当時はバブル全盛でしたので、高卒でも大手企業からの求人が多かったようです。

今の時代は、大卒でも就職が困難とされています。

就職したものの過酷な労働を強いられ、うつ病になる方も多い時代となっています。

私も多くの挫折を味わいながら、ここまできていますが、うつ病になった記憶はありません。

ストレス耐性が、あるかないかで人生が変わってしまうことも多いようです。

去年の同窓会が開催されたいきさつは、同級生の死でした。

私の大学の同級生も去年亡くなっていますので、今会える人には会っておいた方がいい。

そう思うのです。

人生は、今この瞬間にしか立ち現れないのですから。


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2014年8月18日

16日、午後から私は銀座へ向かいました。

幕張ドルフィン歯科の米山です。

三越で私は、母の誕生日プレゼントを探していました。

毎回そうなのですが、今回も何を贈ろうかと頭を回転させながら、着物売り場へ。

ふと目に留まったのは、銀細工や七宝焼きの帯留めでした。

松竹梅や歌舞伎にちなんだもの、おめでたいものなど数々の帯留めのなかから、

すでに選んでいた帯締めに合ったものをチョイス。


その日の夕方からは、日本メンタルヘルス協会の再受講を。

衛藤信之先生のお話を伺いながら、縁起について深く考えていました。

私は、たった一人の母親から生を受けたのですが、自分のご先祖様は途方もない数字に

なることはおわかりでしょう。

人類はたった一人の女性から発生したと言われますが、大元はビッグバンに

行き着くわけです。

つまりすべては、関係性で成り立っていることに気づいた時に、より深い感謝が

立ち現れてくるのです。


17日の夕方、実家で母の85歳の誕生日をお祝いしました。

私の母は、戦後の混乱期を生き抜いただけでなく、母親(私の祖母)を若くして亡くしています。

下には4人の姉妹がいて、父親(私の祖父)のまさに母親代わりとなってきた人でした。

今でも実家で洋裁教室を続けながら、一人暮らしをしています。

お茶は若い時からたしなみ、表千家の師範級ではあります。

ここで、新たなことが判明したのですが、お茶の席には、あまりきらびやかな装飾物は

身につけないということでした。

なので、私のプレゼントの帯留めは、お祝いの席の時にでもつけてもらえればと思います。


お母さん

私は、あなたの悲しむ姿をほとんど見たことがありません。

父や私の前妻の葬儀でも気丈にふるまっていましたね。

私が息子たちと実家に遊びに行くことが、私にとって一番の親孝行と思っています。

あなたが私にしてきたように、私もあなたに多くのものをお返ししたいのです。

だから、お母さん

長生きしてください。

もちろん、仕事やお茶を楽しみながらですよ。


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2014年8月16日

15日、帰省ラッシュのころを迎えていることと思います。

幕張ドルフィン歯科の米山です。

午前中は、家族と幕張メッセへ

以前から見たかった宇宙博

お盆休みとあってか、当日券を買う人の長蛇の列。

ようやく館内へ入場すると、本物の宇宙服や隕石、月面装甲車など圧倒されるものが

陳列されていました。

3歳のケイトだけでなく、大人の私たちも興味湧くものが目白押し。

特に目についたのは、冷戦時代の宇宙開発競争の歴史は、失敗の歴史というところ。

多くのロケットの打ち上げ失敗や、実験中や搭乗時の尊い犠牲

私の幼少期は、アポロ計画の真っただ中。

幼い私は、月面に人類が降りたつ瞬間を、リアルタイムで見ていた記憶があります。

スペースシャトル時代を迎えても、大事故はありました。

発車直後の爆発や大気圏突入時の事故

まさに成功と失敗を繰り返しながら、歴史は形作られていきます。


午後からは、ボリショイサーカス

以前にも一度ボリショイサーカスを観覧したのですが、大きくプログラムが変わっていました。

たぶん人員にも世代交代があったと思われます。

サーカスは、動物の芸と人間の技が織りなす芸術といっていいでしょう。

ある演目では、女性を頭に乗せた男性が、はしごの上を上り下りするというものがありました。

文章化すると簡単なように思われると思いますが、女性には命綱が結ばれていますので

かなりの難易度と思われました。

実際、男性がはしごの上でバランスを崩し、足を踏み外してしまいました。

それでも、最後までパフォーマンスを続けていくところは、プロの見せどころでしょう。

サーカスという舞台に立つこと自体、相当な努力を要すると想像します。

何千回、何万回という練習と舞台を繰り返していっても、ミスはつきものです。

科学の推移をもってしても、人的ミスは起こりうるもの。

しかしながら、ミスを恐れていては、一歩も前へ進むことはできません。

宇宙開発や芸術の世界であっても、輝かしい歴史の裏には、壮絶な人の想いが

あることは、疑いのない事実なのでしょう。

そこに人は感動し、自分自身をも鼓舞していく。


地球は青かった


これは、ガガーリンが残した言葉として有名です。

はたして今でも地球は青いのでしょうか?

社会情勢も刻一刻と変化していきます。

そのような中であっても、

いつまでも青い地球でありたいという願いは、

人類共通の願いであってほしいものです。


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2014年8月14日

13日、早朝5時に起床し、いつものジョギングを淡々と

幕張ドルフィン歯科の米山です。

今日は、家族と鎌倉へ

高校3年生のゆうたろうは、日曜日以外部活なので別行動です。

目的は、3歳のケイトに海を見せることと、妻のえれいに、自然を満喫してもらうこと

なので、鎌倉はうってつけな場所です。

東京駅から横須賀線で1時間で北鎌倉に到着。

最初のお寺は、円覚寺。

急な石段を一緒に上ったのですが、私もやや息が切れるような状態なのに

3歳のケイトは、まったく元気。

えれいは、相当疲れた様子。

道すがら、日暮蝉の泣く声が、竹林のざわめきとともに聴こえました。

明月院では、リスなどの野生動物を見ることができました。

キツツキが木をトントンとたたく音。

木漏れ日の中、夏のひと時を楽しむ風情。

けいとが騒ぐものだから、庭園の剪定をしていたお坊さんに、怒られてしまいました。

建長寺、鶴岡八幡宮にお参り後、江ノ電で江の島へ。

江の島でシラス丼でもと思っていたのですが、お盆中もあり、どこも長蛇の列

バーガー屋でも相当待ってから、お昼にありついたのは、3時過ぎ。

その後、新江の島水族館へ。

私自身、関東の水族館は、すべて行ったことがあるのですが、

個々に魅せる手法が違うことに気づかされます。

ここでは、ウミガメを見せてくれるところが特徴でしょうか。

デニーズで軽食後、片瀬海岸でケイトとえれいが、裸足になって水遊び

最初はおどおどしていたケイトも、慣れてくると波に向かっていくのですね。

私は、一度小学校のころ、海でおぼれたことがあるため、警戒心があります。

えれいも小さいころ、川でおぼれた経験を持っていました。


思えば、亡くなった前妻との最初のデートが、鎌倉でした。

紫陽花が咲いていたので、6月ごろだったと記憶しています。

明月院の紫陽花は、すでに終わっていましたが、人の記憶には、それぞれの

思い出とともに、多くの花が咲いています。

あの時に咲いていた花の種類、色、そして匂い

すべてが走馬灯のように色鮮やかに蘇る

たとえ、昨日の思い出であっても数年後には、再び色鮮やかな原風景となってくるのでしょう。

皆さんの思い出の中には、どんな花が咲いているのでしょう?

きっと、素敵な花なのでしょうね!



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2014年8月12日

11日は、台風一過の残る強い風の中、日課のジョギングを

幕張ドルフィン歯科の米山です

当医院は、11日から16日までお盆休みとさせていただいています。

ジョギング後、家族を起こし、一路上野へ

11日は、大学受験を控えたゆうたろうも同行し、日立へ向かいます。

日立は、ゆうたろうの母親の生まれ故郷です。

ゆうたろうは日立の実家で、生後数か月を過ごしました。

お昼前に日立に到着。

日立の海が見える駅構内に祖父が待っていました。

実家につくと祖母とワンちゃんが。

3歳のケイトもママと一緒にワンちゃんをあやすのですが、ケイトはまだまだ怯えていますね。

そうめんをごちそうになりながら、祖父にゆうたろうの進学のことをご相談しました。


今は亡きゆうたろうの母親の実家

祖父や祖母にとってゆうたろうは、初めての孫

母親が亡くなった当時ゆうたろうは、まだ小学校4年生でした。

私はその5年後再婚し、3歳のケイトは、2011年の大震災から2か月後に生まれました。

まだあまり話せないケイトは、ゆうたろう兄ちゃんを気にするのですが、

ゆうたろうは素っ気ありません。

でもいずれ、お互いが心から話せる時が来ることを願わずにいられません。

天国のママ

ゆうたろうは、もうすぐ大学生です。

あんなに小さかったゆうたろうが、今では僕の背丈まで大きくなりました。

エレイも、毎日ゆうたろうのお弁当を作ってくれています。

ゆうたろうは、ケイトにはまだ、遠慮があるみたい。

だけど、いずれ兄弟で話し合える時が来ることを、願っています。

その時が来るまで、僕は彼らを見守りたいと思います。

お父さん、お母さんも元気でしたよ。

だから安心してくださいね。

日立の海は、とてもきれいでした。

人は、いずれ海に帰るのかなあ。

夫婦って一緒には死ねないね。

でも、その遺伝子は受け継がれていくものなんだ。

それがとても幸せ

泣いてなんかいないさ。

海がまぶしいだけさ。



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2014年8月 8日

7日、やや朝寝坊し、日課となるジョギングをこなしました。

幕張ドルフィン歯科の米山です。

高校3年生のゆうたろうは、昨日友達の家に泊まって朝帰り。

午前中は部活とのこと。

ゆうちゃん、ママの仏壇と部屋の掃除しとけよ!

そういわないといつもゆうたろうの部屋は、散らかり放題なのです。

その後、私は錦糸町丸井のスタバへ

お昼から3歳のケイトのどらキッズ教室まで、約2時間の読書です。

どらキッズは、入園前の幼児教室です。

ケイトの声が聞こえ、見るとスタバ内に妻が入ってきました。

どらキッズ教室は、丸井の4階にあります。

いつも泣いてばかりいるお友達がいますが、ケイトが教室内に入り、外の私と目が合うなり

いつもは泣かないケイトまで泣き出してしまいました。

しまった!

教室が終わってママの顔を見たときにも、ケイトは泣いてしまいます。


ランチは、有楽町のイタリアンレストランで

去年30年ぶりの高校同窓会が開かれ、それに続いてクラス会を10月に予定しています。

今回私は、クラス会の幹事となっています。

その会場の候補としていたお店ではありましたが、クラス会には向かないと判断

2時過ぎの銀座は、うだるような暑さ


3人で松屋のプーさん展に

プーさんの最初の上映は、1965年

私が1歳の時でした。

私が生まれた1964年は、新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された年

今は違いますが、当時の日本選手団は、一糸乱れぬ行進をしていました。

午前中、読んだ書籍の中に高度経済成長の背景には、M資金や天皇の資産が

含まれていたようです。

財閥の解体も、資産家の存在しない状態にすることを目的とした、銀行家たちの思惑らしい。

デイズニーのようなドリームアメリカと、日本を洗脳下に置くアメリカの、光と影を垣間見るような

思いです。

まだ母子一体感が残るケイトと工学部を目指すゆうたろう

この2人の息子たちにも、人生の光と影を学んでほしい。

この陰陽そのものが人生なのだと


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2014年8月 4日

2日、私は診療後小岩駅に急いでいました。

幕張ドルフィン歯科の米山です。

小岩駅に着くと、いつになく大勢の人があふれて、妻とケイトをようやく発見。

去年までは、市川駅よりも小岩駅の方が降りる人が多かったのですが、今年は市川駅で

降りる方が多いようでした。

昭和通を歩いていると、いきなり大音響が鳴り響き、夜空に大輪の花が見えました。

人々の驚嘆の声があちこちで起こる中、江戸川土手に急ぎました。

私が小学校のころ、実家の窓からいつも眺めていた花火を、妻のエレイと知り合ってから

江戸川土手まで足を運ぶようになりました。

ケイトが生まれた2011年は、花火大会は中止

なのでケイトにとっては、3回目となりましたが、途中で帰ろうよという始末。

もう少し大きくなったら、花火の面白さもわかってくるのでしょう。

私も幼少期、青年期、壮年期それぞれの時代の中で、花火の見方も変わってきました。

花火自体も、手作業から今ではコンピューターを駆使したものへと変化。

確かに以前よりは、迫力や色、形、玉数、演出など多くのものが進化してきたようです。

それに比例するように、人生の中で、花火に感じる自分自身の受け止め方も変化していき

さらに奥行きも増してきたように思います。

ケイトの見る花火、妻の見る花火、大学受験を控えたゆうたろうの見る花火

そして自分が見る花火

同じ花火であっても、人の数だけの意味があると思うのです。

そう、人生の意味付けは、自分次第

そんな夏の一コマを満喫しました。


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2014年8月 1日

30日の休日も朝のジョギングからスタートしました。

幕張ドルフィン歯科の米山です。

午前中は、コンサルタントの高野さんと経営相談。

私は、以前より心理学を勉強しているのですが、自分自身の内面は、まだ見えていないところが

多々あります。

そこで、臨床的に信頼のおけるカウンセラーを高野さんからご紹介いただき、今週の

日曜日にカウンセリングをしていただけることとなりました。

どのようなカウンセリングとなるのか、今から楽しみです。


午後から、錦糸町の丸井へ向かいました。

そこのどらキッズ教室で3歳のケイトが、お友達と学んでいます。

お友達の中には、お母さんと離れて始終泣いてばかりのお子さんもいます。

教室の終わるころには、ケイトもなぜか泣くのですね。


家族と別れて、上野で高校時代の友人とクラス会の打ち合わせに。

友人の堀越君とは、去年の同窓会で30年ぶりに再会しました。

今年の春には、2回目の同窓会を開催していますが、まだ会っていない友人もいるため

クラス会の企画を相談することとしました。

会ってみると、私がいつも考えていることと同じ考えを持っていることが判明。

打ち合わせもそこそこに深い話となりました。

2人ともこの世の真理を知りたいという願望が強く、意気投合。

宗教、経済、心理学、脳科学、健康あるいは哲学的な問いなど多岐に及び、場所を居酒屋から

スタバへ移動しました。


夕暮れの上野公園は、幻想的な瞬間が広がっていました。

30年の時を超え、10代のころにはここまで考えが及ばなかった2人が、さまざまな経験を

繰り返し、話の内容が昇華していったように思うのです。

彼も私と同様、つらい経験をしていました。

そんななかで死生観というものも、自然と備わってきたのかもしれません。

彼が大切にしているものは、コミュニテイということです。

私は、縁起と理解しています。

つまり、人は決して一人では生きてはいけない ということです。

他者があってこその自分

そんな自分を理解するためには、カウンセリングを受けることも一つの方法です。


上野公園に夜の帳が降りるころ、彼と再会を約束し、別れました。

まだ話したりないことがたくさんある

そんな思いを抱かせる友人は、あまりいません。


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幕張ドルフィン歯科 院長 米山吉洋

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院長 米山吉洋

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当クリニックの矯正は、夜寝ているときだけ装着する「取り外し式」の装置を使用。一般的なワイヤーを使う治療方法とは異なるため、食事中や学校・仕事の時など、人前に出るときは装置を外すことが可能です。

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