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2014年8月16日

15日、帰省ラッシュのころを迎えていることと思います。

幕張ドルフィン歯科の米山です。

午前中は、家族と幕張メッセへ

以前から見たかった宇宙博

お盆休みとあってか、当日券を買う人の長蛇の列。

ようやく館内へ入場すると、本物の宇宙服や隕石、月面装甲車など圧倒されるものが

陳列されていました。

3歳のケイトだけでなく、大人の私たちも興味湧くものが目白押し。

特に目についたのは、冷戦時代の宇宙開発競争の歴史は、失敗の歴史というところ。

多くのロケットの打ち上げ失敗や、実験中や搭乗時の尊い犠牲

私の幼少期は、アポロ計画の真っただ中。

幼い私は、月面に人類が降りたつ瞬間を、リアルタイムで見ていた記憶があります。

スペースシャトル時代を迎えても、大事故はありました。

発車直後の爆発や大気圏突入時の事故

まさに成功と失敗を繰り返しながら、歴史は形作られていきます。


午後からは、ボリショイサーカス

以前にも一度ボリショイサーカスを観覧したのですが、大きくプログラムが変わっていました。

たぶん人員にも世代交代があったと思われます。

サーカスは、動物の芸と人間の技が織りなす芸術といっていいでしょう。

ある演目では、女性を頭に乗せた男性が、はしごの上を上り下りするというものがありました。

文章化すると簡単なように思われると思いますが、女性には命綱が結ばれていますので

かなりの難易度と思われました。

実際、男性がはしごの上でバランスを崩し、足を踏み外してしまいました。

それでも、最後までパフォーマンスを続けていくところは、プロの見せどころでしょう。

サーカスという舞台に立つこと自体、相当な努力を要すると想像します。

何千回、何万回という練習と舞台を繰り返していっても、ミスはつきものです。

科学の推移をもってしても、人的ミスは起こりうるもの。

しかしながら、ミスを恐れていては、一歩も前へ進むことはできません。

宇宙開発や芸術の世界であっても、輝かしい歴史の裏には、壮絶な人の想いが

あることは、疑いのない事実なのでしょう。

そこに人は感動し、自分自身をも鼓舞していく。


地球は青かった


これは、ガガーリンが残した言葉として有名です。

はたして今でも地球は青いのでしょうか?

社会情勢も刻一刻と変化していきます。

そのような中であっても、

いつまでも青い地球でありたいという願いは、

人類共通の願いであってほしいものです。


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2014年8月14日

13日、早朝5時に起床し、いつものジョギングを淡々と

幕張ドルフィン歯科の米山です。

今日は、家族と鎌倉へ

高校3年生のゆうたろうは、日曜日以外部活なので別行動です。

目的は、3歳のケイトに海を見せることと、妻のえれいに、自然を満喫してもらうこと

なので、鎌倉はうってつけな場所です。

東京駅から横須賀線で1時間で北鎌倉に到着。

最初のお寺は、円覚寺。

急な石段を一緒に上ったのですが、私もやや息が切れるような状態なのに

3歳のケイトは、まったく元気。

えれいは、相当疲れた様子。

道すがら、日暮蝉の泣く声が、竹林のざわめきとともに聴こえました。

明月院では、リスなどの野生動物を見ることができました。

キツツキが木をトントンとたたく音。

木漏れ日の中、夏のひと時を楽しむ風情。

けいとが騒ぐものだから、庭園の剪定をしていたお坊さんに、怒られてしまいました。

建長寺、鶴岡八幡宮にお参り後、江ノ電で江の島へ。

江の島でシラス丼でもと思っていたのですが、お盆中もあり、どこも長蛇の列

バーガー屋でも相当待ってから、お昼にありついたのは、3時過ぎ。

その後、新江の島水族館へ。

私自身、関東の水族館は、すべて行ったことがあるのですが、

個々に魅せる手法が違うことに気づかされます。

ここでは、ウミガメを見せてくれるところが特徴でしょうか。

デニーズで軽食後、片瀬海岸でケイトとえれいが、裸足になって水遊び

最初はおどおどしていたケイトも、慣れてくると波に向かっていくのですね。

私は、一度小学校のころ、海でおぼれたことがあるため、警戒心があります。

えれいも小さいころ、川でおぼれた経験を持っていました。


思えば、亡くなった前妻との最初のデートが、鎌倉でした。

紫陽花が咲いていたので、6月ごろだったと記憶しています。

明月院の紫陽花は、すでに終わっていましたが、人の記憶には、それぞれの

思い出とともに、多くの花が咲いています。

あの時に咲いていた花の種類、色、そして匂い

すべてが走馬灯のように色鮮やかに蘇る

たとえ、昨日の思い出であっても数年後には、再び色鮮やかな原風景となってくるのでしょう。

皆さんの思い出の中には、どんな花が咲いているのでしょう?

きっと、素敵な花なのでしょうね!



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2014年8月12日

11日は、台風一過の残る強い風の中、日課のジョギングを

幕張ドルフィン歯科の米山です

当医院は、11日から16日までお盆休みとさせていただいています。

ジョギング後、家族を起こし、一路上野へ

11日は、大学受験を控えたゆうたろうも同行し、日立へ向かいます。

日立は、ゆうたろうの母親の生まれ故郷です。

ゆうたろうは日立の実家で、生後数か月を過ごしました。

お昼前に日立に到着。

日立の海が見える駅構内に祖父が待っていました。

実家につくと祖母とワンちゃんが。

3歳のケイトもママと一緒にワンちゃんをあやすのですが、ケイトはまだまだ怯えていますね。

そうめんをごちそうになりながら、祖父にゆうたろうの進学のことをご相談しました。


今は亡きゆうたろうの母親の実家

祖父や祖母にとってゆうたろうは、初めての孫

母親が亡くなった当時ゆうたろうは、まだ小学校4年生でした。

私はその5年後再婚し、3歳のケイトは、2011年の大震災から2か月後に生まれました。

まだあまり話せないケイトは、ゆうたろう兄ちゃんを気にするのですが、

ゆうたろうは素っ気ありません。

でもいずれ、お互いが心から話せる時が来ることを願わずにいられません。

天国のママ

ゆうたろうは、もうすぐ大学生です。

あんなに小さかったゆうたろうが、今では僕の背丈まで大きくなりました。

エレイも、毎日ゆうたろうのお弁当を作ってくれています。

ゆうたろうは、ケイトにはまだ、遠慮があるみたい。

だけど、いずれ兄弟で話し合える時が来ることを、願っています。

その時が来るまで、僕は彼らを見守りたいと思います。

お父さん、お母さんも元気でしたよ。

だから安心してくださいね。

日立の海は、とてもきれいでした。

人は、いずれ海に帰るのかなあ。

夫婦って一緒には死ねないね。

でも、その遺伝子は受け継がれていくものなんだ。

それがとても幸せ

泣いてなんかいないさ。

海がまぶしいだけさ。



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移転しました 幕張ドルフィン歯科 院長 米山吉洋

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院長 米山吉洋

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